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沖縄の左翼について考えた

昨日ネットを見ていたら、沖縄高江のヘリパッド建設問題の取材で「ニュース女子」が槍玉に上げられていた。さっそく「ニュース女子」本体を見てみる。和気あいあいとした議論のなかで、特にひどい誹謗中傷や事実と異なることが報じられていた気配はない。

 

こういうことで問題になるのは放送法の問題がある。日本とアメリカの放送法の一番の違いは「政治的公平性」であり、日本の放送法では視聴者に公平で政治的な偏りのない報道を届けることが義務だという。対してアメリカは独自の局の持つ政治カラーやポリシー、宗教色で勝手に色をつけて、放送している。トランプに対して批判的だったCNN記者の質問を拒否するという事件も起きている。というか、アメリカはケーブルテレビ文化だから、もっと放送免許で全国放送を許可するという制度ではないことも影響してると思うけど。

 

 

それよりも問題なのは、最近左翼というものに対して自分の中でも、世の中の流れ的にも大きな転換点になのでは?と思う。特に私と同じ40代前半は同じ思いが強いのではないだろうか。

 

戦後の全共闘世代の親が多く、小学校からの教育は日教組の影響ではだしのゲン反戦教育が中心に行われてきた。君が代斉唱も国旗掲揚もなかったと思う。確かにあの時代、私たちは左翼的な思想がよいものだと考えていたし、自民党は脂ぎったおっさんと田舎の農民が支持するものだと思っていた。土井たか子もいたし、首相は愛人、献金問題でバタバタと辞めていくし、そういう時代だった。

 

しかし私たちはソ連崩壊、カンボジアの大虐殺、中国との政治的コンフリクト、北朝鮮問題を経験して、共産主義社会主義というものを全く信じていない。国際的にみてもマオイスト的なテログループは少ないし、純粋な共産主義が救ってくれると思っているものは皆無だろう。日本の共産主義は戦後から学生運動の時代を経てソフトになり、憲法9条になり、反原発、反米軍基地、弱者の味方になり、現在に至る。

 

子供時代に信じていた戦後サヨク的な心情、物の考え方が地政学的な視点や、国というもののありかたを知るに連れて少しずつ薄皮を剥ぐように剥がれていき、物事の本質というのが見えてきたのだろうか?それとも時代が変わったから考え方が変わったのだろうか?

例えば80年代、バブル前夜の頃日本の一般的な人は戦後左翼的な優しい思想で何をしようとしていたのか?冷戦構造が厳然としてあり、アジアはまだ遠く、アメリカはジャパンバッシングと不景気のなか。伸び続ける日本経済は、バブル前夜。

 

私の父親、母親が全共闘世代だからだろうか、その時代の人たちは自分たちの青春の思い出を引きずっていて、それが家庭や社会に反映されていた様な気がする。それは政治信条や国を良くするためというよりは、もっとライフスタイルの様なものだった気がする。そういう風にアクトする、そういう風に語る、そういう分野に興味を持つなど。

 

そう考えると政治、経済的に正しい選択とどういう信条を持つかはあまり関係ない気がする。自民党政権だって、常に国益にかなった選択を自動的に行なっていくとすれば、左翼が気に入ることだってするだろう。共産党だって国益にかなった政治であれば、極右と同じ行動をするだろう。

 

どうしても戦後サヨクの人たちは盲目で、何も世界が見えていなかったという考え方から離れられない。平和憲法擁護と日本が置かれている地理的な位置、歴史的経緯など考えると米軍基地反対、自衛隊反対という意味が見えてこない。平和憲法を擁護するためには、米軍のプレゼンスが必ず必要で、冷戦構造の中では日本はかなり前線に位置し、自衛隊だけでは心もとない。

 

GHQに与えられた憲法をありがたがるという捻れもある。戦後共産党は武力革命を目指し、GHQレッドパージと戦い、日本を共産化しようとしていたが、何故それを変更したのか?

 

今後の日本はどう進んでいくのか?対外的には韓国との関係、中国との関係、北朝鮮の今後、アメリカとの関係、アジア諸国との関係、難民受け入れ、少子化に伴う労働力の受け入れ。対内的には少子化、デフレ、労働力の減少など。