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大麻解禁について考えた

昨今、欧米で大麻解禁の流れが起こっている。古くはアムステルダムのコーヒーショップから今アメリカ、コロラドでは大麻スタートアップ企業が増えているという。

 

結論から言うと、私は大麻解禁賛成。嗜好用途も含めてOK。

理由は、法律が成立した過程に対する疑問と、科学的な見地、そして人権が制限されているということ。

 

科学的な見地からいくと、とても簡単に説明できる。酒、アヘン、モルヒネなどに比較して身体的、精神的中毒性が比べものにならないくらい低い。幻覚や暴力性、怠惰になるなどの科学的データもない。また飛び石理論、ゲートウェイ理論といわれるヘビーなドラッグへの入り口になるという理屈も現在では否定されている。逆にいえば身体的、精神的に問題がないのなら、それを解禁することで反社会勢力との接点も断てるし、課税することだって可能だ。この2つの考えは欧米が解禁に踏み切った大きな理由。

 

1948年の大麻取締法制定から国(厚生省)が行っているこのでっち上げは、法律があるから禁止しなくてはいけない、という姿勢だ。大麻取締法GHQの押し付けによって始まったといわれている。理由は日本の神事や文化と深くつながる大麻を禁止しようとしたといわれている。

 

一方、覚せい剤取締法は1951年制定で、それ以前は薬局で買えた。覚せい剤は確実に戦地での使用経験と、戦後の混乱や重労働、食糧不足、社会の停滞感などから来た流行だったのだろう。戦争をしたかったり、労働力を補おう(国民を単純労働に使いたい)という国は、なぜか覚醒剤が出回るようになっていたのが戦後から20世紀末までの世界情勢のようだ。薬理学的にいえば覚せい剤の方が危険なのは明白だ。しかし政治的な理由はそこを無視してきたようだ。

 

世界に目を向けてみるととても面白い現象がみえる。大麻に関してはおおらかで、法律もなかったような新興国が1980〜2000年代に次々と重罰化していき、逆に先進国(OECD各国)は解禁の流れに進んでいる。例としてインドは1980年代に罰則規定が作られたが、これはアメリカや先進国のプレッシャーがあったようだ。また個人的には野蛮で原始的な習慣だという恥のようなものが社会にあったのではないか?と思う。しかしインドは宗教行事で使うバングは政府公認ショップで売るという、とてもインド的な逃げ道を作っている。

 

人権が制限されている、という部分に関していえば本来憲法では健全に生きる権利や、知る権利(正しい知識)というものが保証されていて、国は国民にこれを提供しなくてはいけない立場なはずだ。しかし科学的根拠のないデータを提供し、モルヒネなどもっと依存性が高いものは使用を許可しているなどの実態がある。

 

本来人間は自由な存在であり、そこに制限を加えるのが法律で、社会という大きな人の集団が求める理想像が憲法なら、本来大麻を吸うことも自由であり、それに制限をかけるということは科学的にこの物質は憲法で掲げる理想像に反する、平和な国民生活に害をなす物質だという確かな証拠がなければいけない。

 

ここまで書いてきて2つのことに思いあたった。1つはとても重要で未来志向のことで、もう一つはとても皮肉な意見だ。

 

ひとつめは日本、それ以外の国も含め、民主主義は古い部分を未だに内包している。それは天皇制だったり、宗教、文化だったりする。それは民主主義にその国の独自カラーをつけるような役割も持っている。悪い要素とすれば、それが民主主義や法治主義本来が持つ機能を鈍らせ、システム自体が矛盾点を内包している状態にしている。これを取り除くことが21世紀の未来への一歩ではないだろうか。

 

そして2つめは大麻取締法も現日本国憲法も戦後GHQが大きな力で作ったもの、いまアメリカは大麻解禁を進めている。言語の世界では、元植民地や遠く隔たった国で使われる言葉には、古い言葉や文法が残るそうだ。例えばブラジルのポルトガル語、アメリカの英語。なんだかこの大麻取締法も、そういった類の置き土産みたいな気がする。

 

戦後は続くよ、どこまでも。と言っていられない状況の日本。古い言葉が残るのは文化になるが、憲法や法律が何も考えられないまま保存されるのは、良い状況だとはとても言えない。

 

大麻に関して考えると、いろいろな政治的、社会的な矛盾や背景が見えてきてとても楽しい。一昔前大麻は21世紀の植物だ!と言われていたけど、いろんな意味で本当にそうだな〜と思いました。