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大型サイクロン直撃@チェンナイ

12月12日(月)チェンナイに大型のサイクロンが直撃。

11月終わりのお札騒動、先日のアンマ(ジャヤラリータ)死去に続き、22年に一度といわれるサイクロン直撃。相変わらず災害に弱いチェンナイだが、翌日13日には見事に晴れわたり、町のあらゆるところで復旧作業が行われている。

 

今回のサイクロンは強風を伴ったもので、被害は水よりも風によるものが大きかったようだ。倒木が道路を封鎖し、看板があらゆるところで倒れ、倒木による電線の断線、グラスビルの窓が割れているなどが起こった。この強風は関東近郊では体験できないもので、インドのextreme weatherにまた驚かされた。

 

災害への弱さは毎年の様に降る雨の対策が全くできていない部分に見られる、OMRやECRといった基幹道路にも排水設備がない、U字溝などが全くない、下水があるのかないのかわからない、川の土手などが整備されていないので川がすぐに氾濫する、至る所にある沼(チェンナイはもともと沼地が多い)から水が溢れ出し、隣地へ水が流れ出すなど。

 

電気、インターネットの配線が倒木や強風で切断され。スラムに住む人々は家から出て道路で衣類や寝具を乾かし、水に浸かった大学は休校になり学生たちは地元に帰っていく準備をしている。

 

インドの気候には驚かされることが多い、3〜6月のチェンナイの暑さもそうだが、11月〜12月にかけて訪れる雨季のサイクロンの激しさも超絶級だ。昨年の大洪水も驚きだが、今年のサイクロンの風の激しさは海岸沿いでは、車を浮かせて海に放り投げ、あらゆるところで樹木を倒した。

 

毎年の様に起こる災害と 激しい気候はどんな国民性を育てるのだろうか?

諦めの早い性格、どんなに損害が大きくても動じない性格、生活のために必要最低限の復旧を素早く行う行動力など、同じく天災が多い我が国と比較しても良い部分があるのではないか?

 

タミルナドゥ、チェンナイ人は、災害時総じて落ち着いて行動するし、公共の助け合い精神もある、比較的楽観的にものごとを捉えて、騒乱や暴動などは起きる気配がない。

 

日本では災害に対する対策があらゆる面で整っている様に思う。

第一に備え、川の氾濫対策、下水や側溝の整備、危険区域、避難方法の周知など。インドのインフラ、ソフトはこういった面についても整っていないと言える。

 

人々がまともに生活するためには隣近所での助け合いや、学校、友人などの助けが必要で、そういった協調関係や繋がりがなくしては行きていけない。

 

翻って我が国も以前は隣近所の助け合いが普通にあり、相互強調が自然に行われていた。それが希薄になっているのか?新たな関係性が築かれているのか?SNSの発達や、災害インフラの発展は人々に情報と安心感を与え、プライバシーの重視や、衛生的な環境を災害時でも提供できる。

 

インドにおいてもそれが隣近所、特定集団レベルで行われ、提供されていることは理解できる。

 

そういった意味で考えると日本は社会投資や公共への投資が、公共というものへの信頼をベースに行われ、国、県、市町村といった行政単位レベルで行われてきたことがわかる。比較してインドは公共投資への信頼度が低く、日本の様に国や市町村が最終的に責任を取ってくれるというような考え方は少ない。

 

基本的に自分のことは自分で行う、 at your own riskの考え方が浸透しているように思える。政治家の汚職や、公共サービスの質の低さを見るとそう考えるのも仕方がないように思える。しかし州知事への敬意や崇拝は、理解の限度を超えている部分があり、死去に伴う自殺者や暴動につながる場合もあり、

公共サービスの提供者というよりも、神様の様に考えている部分が人々の中に強い様に思う。

 

インドの民主主義は崇拝の念と、それに対する報酬(施し)という関係性で成り立っているのではないか?とくにTN州に関しては。

インドのメディアもアンマ葬儀を大々的に報道し、ヒロインの死を悼む報道を行っていた。アンマの人生を振り返り、行ってきた偉業を讃える報道だ。参列者も喪主の足元にひれ伏し、最大限の敬意を払って弔問を行っていた。

 

こういった有権者とそれを映し出すメディアは、まるで王様か独裁政治家が死去したときのようだ。世界最大の民主主義というが、その民主主義のカタチは、一般的な日本人が思い描いているものとは違い、「神様と信者」、「女王と民衆」という形に近い気がする。

 

こういった関係性が引き起こすものは、第一にメディアの政治への監視が十全に行われない、第二に有権者の政治家への盲信は、政治家としての能力ではなく、その人の知名度や恩義を与えたかによって判断されてしまう(その与えた恩義が行政的に不公平ものだとしても)。

 

こういった民主主義の形の違いは、その国民性に由来する部分がとても大きい気がする。それは民主主義教育というよりも、国民にもっと深く根ざした文化や歴史的事実が作り出した国民性が大きく影響している。

 

例えばインドではスルタンやマハラジャといった絶対君主がインド独立まで存在しており、英国のインド提督は神として絢爛豪華な宮殿に住み、ルイ14世よりも多くの召使を抱えていた。そういった歴史が彼らの心根に宿っており、政治家を神や支配者として捉えているのではないだろうか。

法律の条文よりも、そこにいる行政官の気分やさじ加減で決まる役所の仕事。

モディが首相に選ばれたのも、こういった王政や君主の様な人間を選びたくないという現れなのかもしれない。

 

我が国ではどうだろう、日本の歴史的事実は徳川の世から明治維新を得て、富国強兵の時代、軍国主義の時代を経て、敗戦、民主化(アメリカ型)へ時は移ってきた。この中で特徴的なものは明治維新だと思う。民主主義とはいかないまでも、参政権言論の自由が一定程度確保された維新は、薩摩、長州、土佐藩郷士や身分の高くない侍が中心となって行われたものだ。徳川という絶対的な権力から、明治政府という全く新しい権力へ移行したのだ。民衆はその時時の政府の方針に従いながら、民主主義や共産主義、自由や権利という新しい概念を吸収していった。

 

確かにインドでも英国から新生インドの国民会議派へと権力は引き渡された。彼らは多分そんなに搾取型ではなく、ガンジーの理想のようにインド民衆のためによりよい政治を行ってきたのだろう。それに社会主義に近いかたちの国家は、資本主義よりも民衆を平等に扱いそうだ。しかし、そうはならなかった。インドの失敗は社会主義というソビエト崩壊とともに崩れ去ったシステムを採用していたからなのだろうか?Hindu pace といわれた低成長、識字率の低さ、圧倒的な貧困層の多さは経済システムの失敗によるものが大きい気がする。また我が国で行われてきた合理性、西洋化の追求(富国強兵のための)はインドでは行われず、英国統治への反発から西洋的なもの、西洋的合理性が追求されなかったのではないだろうか?

 

他の国の人の目から見ると日本人にもそういった悪癖のようなものが残っているのだろうか?例えばお上(政府)を信じすぎる、徳川時代からの中央集権、自分たちで血を流して勝ち取っていない民主主義(敗戦後に米国から与えられた)、閉鎖的で同じ人種であることを非常に大事だと思う文化(
hi context な文化)。

 

インドは大国であり、日本は島国だ。多くの国境を他国と共有し、多様な人種がパキスタン国境からミャンマー国境まで拡がり、宗教的にもヒンドゥー、モスリム、クリスチャン、シーク、仏教徒、ジャイナが入り交じるインドは千年単位の歴史で見ればるつぼであり、日本は海岸線というはっきりした国境と文化圏の境界を持っていた。

 

国民性というのもこういった地政学的な条件に導き出された歴史や民族間の戦い、気象条件などが長期間にわたり蓄積され、そういった条件への最適値を権力者や人々がはじき出してきた歴史なのだろう。人間は地理的条件や気象条件には勝てない、それに従うしかない。しかしそれを克服し、新しいかたちを導くのも人間だ。それには自然的にそこに存在するもの、あるものに対する挑戦と、それを克服する方法が必要だ。

 

浸透圧の高い日本と、薄いインド。他者を排除する日本と受け入れるインド。